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東京江東区観光 深川のタクシー会社が見つけたお出かけスポット16選(富岡エリア)

東京江東区観光 深川のタクシー会社が見つけたお出かけスポット16選(富岡エリア)

地元のタクシー会社がお勧めする東京 江東区 深川のお出かけスポット

皆さんは東京都何区に住んでいますか?予定がない休日には家の近くどんなところに行きますか?今回は地理に詳しい江東区のタクシー会社が紹介している江戸時代から歴史ある街、東京都江東区深川!その中でも富岡エリアのお出かけスポットを紹介していきます。有名なあの場所から、誰も知らないような隠れスポットまでSNSで紹介しているリンクURLも一緒に紹介していきます!

①深川不動尊

 

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深川、と言えばこの場所を思い浮かべる方もいるのではないでしょうか?本日は深川不動堂の写真を投稿します。様々な見所が盛りだくさんの場所なので、また後日投稿したいと思います。色んなショットが絵になるなあ、とパシャパシャ写真を撮ってしまいました。交通安全、という文字を見ると吸い寄せられるように近づいてしまいます。交通安全の祈願は欠かせません。

 

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[深川不動尊]東京都江東区富岡1丁目17−13

力試しの「力石」

 

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深川不動尊の駐車場の奥に、ずっしりとした石が並んでいます。この力持碑には、東京都無形文化財と記されています。江戸時代から明治時代にかけて、力自慢の方が集まって
力試しや、お祭りの出し物として用いられていたそうです。徐々にそういった風習もなくなっていってしまったとのことで、なんだか寂しい気持ちになります。しかし、はるか昔の風習の名残を感じられるのは嬉しいですね。力自慢の方は是非挑戦してみて下さい。

[力試しの「力石」]東京都江東区富岡1丁目17−13

五代目尾上菊五郎の碑

 

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代目尾上菊五郎の碑。深川不動堂の境内、駐車場側に建てられています。五代目尾上菊五郎は明治時代に大活躍し、九代目市川團十郎、初代市川左團次と共に「團菊左時代」を築きあげた歌舞伎役者。開幕前に毎朝深川で蜆売りの一挙一動をくまなく観察していたそうです。1916年に建設されたときには、立派な銅像が建っていたそう。残念ながら、太平洋戦争中に供出されその後、当時の東京市長より現在の扇形の石碑が贈られたとのことです。

[五代目尾上菊五郎の碑]東京都江東区富岡1丁目17−13

深川龍神

 

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深川不動堂、境内を入って左側に見える深川龍神。日本では、龍神は農耕儀礼との結びつきが深く水を司る神として古来より多くの人々に崇められてきました。農業や水産業が豊かになることを祈り、深川不動堂へ勧請されました。「龍神願い札」にお願い事と氏名を記載し、水鉢に浮かべてご祈願すると御札は水に溶け、願い事が龍神の許に届くといわれています。パワースポットとして人気な深川龍神。何か願い事がある方はご祈願しに行かれてみてはいかがでしょうか。

[深川龍神]東京都江東区富岡1-17-13

富岡八幡宮

 

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富岡八幡宮は「深川八幡宮」とも呼ばれ、江戸勧進相撲発祥の神社。1627年、菅原道真公の末裔と言われる長盛法印が神託により、当時「永代島」と呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされています。当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪もの社有地がありました。八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け「深川の八幡様」として親しまれていたそう。広く美しい庭園は人気の名所であったといいます。

 

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[富岡八幡宮]東京都江東区富岡1丁目20−3

横綱力士碑

 

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富岡八幡宮の鳥居をくぐってすぐ右手に建つ大関力士碑。歴代の大関力士を顕彰するものとされています。九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が1898年に寄付した2個の仙台石で、1983年に完成しました。雪見山堅太夫を初代とし、琴欧洲勝紀までの114人の四股名と出身地が刻まれています。刻名式は、横綱力士碑とは異なり現役引退後に行われていました。完成後初の引退大関となった琴風豪規以降、引退順に刻名されています。また、巨人力士身長碑、巨人力士手形・足形碑なども同じ場所に建てられています。手形や足形は自分の手足と比べてびっくり。本当に大きくて、迫力のある石碑です。

[横綱力士碑]東京都江東区富岡1丁目20−3

日本一の大神輿

 

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富岡八幡宮の境内に日本最大の大神輿、一宮神輿があります。関東大震災の折に焼失してしまい、長い年月、宮神輿がありませんでした。しかし、高さ4.4メートル重さ4.5トン、随所に純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な一宮神輿が1991年に奉納されました。神輿の最上部の鳳凰や中段の狛犬のダイヤモンドの目は光り輝いており、非常に豪華な作りになっています。その重さと大きさゆえに一宮神輿は御本社祭りで担ぐ事ができないということで、1997年に二宮御輿が作られ、こちらが担がれるようになりました。二宮御輿は一宮神輿に比べ一回り小さくなりましたが、高さ3.3メートル、重量2トンもある立派な神輿です。ぜひ、富岡八幡宮を訪れた際には日本最大の迫力ある神輿を見てみてください!

[日本一の大神輿]東京都江東区富岡1丁目20−3

永昌五社稲荷 鳥居

 

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ご覧ください。インスタ映えで大人気の、伏見稲荷大社に似ていませんか?ここ江東区の、富岡八幡宮でも『並ぶ鳥居』を見ることができます。これこそ、知る人ぞ知る隠れ映えスポットではないでしょうか。近隣の稲荷社五社が合祀された神社だそうですが、鳥居をくぐった奥には、五穀豊饒・商売繁盛の神様が祀られており特に地元の肥料商関係者などから絶大な信仰を集めているそうです。一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

[永昌五社稲荷 鳥居]東京都江東区富岡1丁目20−1

富岡宮司寿像

 

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富岡盛彦は日本の神職で、元富岡八幡宮宮司。1892年1月3日福岡県で生まれ、川面凡児に富岡八幡宮の祭祀継承の推挙を受けて富岡宣永第17代宮司の養子となりました。1949年に岳父・宣永の後継で富岡八幡宮第18代宮司となり、1959年、神社本庁事務総長に就任し神道復興に力を入れたそうです。國學院大学の理事長も務め、82年の生涯を全うしました。

[富岡宮司寿像]東京都江東区富岡1丁目20−1

合末社鳥居

 

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一見2本の柱のように見えますが、これは合末社の鳥居です。1937年に建立されたあと、1945年の東京大空襲の被災で上部が欠落してしまったそう。この大空襲において富岡八幡宮は大部分が消失してしまいましたがこの合末社と、七渡神社、永昌五社稲荷神社は消失を免れました。もう二度と戦争など起こってはいけない、と改めて思わされます。

[合末社鳥居]東京都江東区富岡1丁目20−1

伊能忠敬

 

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誰もが知る偉人、伊能忠敬。天文学者であり地理学者ですが、一番良く知られているのは測量家としての面でしょう。測量を始めたのは忠敬が55歳の時。内弟子3名、下男2名を連れて自宅から出発しました。忠敬は測量旅行出発にあたって必ず富岡八幡宮を参拝していたことから、2001年にゆかりの地である富岡八幡宮に銅像が建てられました。歩測で距離を測り、1日におよそ40kmも移動したそう。1800年から1816年まで、17年間もかけて、日本全国の測量という大業を成し遂げましたが、残念ながら地図が完成する前に、74歳の生涯を終えました。1821年に完成した地図は、極めて精度が高く主にヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。

[伊能忠敬]東京都江東区富岡1丁目23−11

八幡堀遊歩道

 

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門前仲町駅の近くにある、八幡堀遊歩道。八幡堀の『八幡』は、富岡八幡宮のことを指しています。富岡八幡宮の東に流れる運河『八幡堀』が、現在は埋め立てられて遊歩道となっています。道の途中には、旧掘割を利用した遊歩道の凹部に架けられた八幡橋が。八幡橋については、次回の投稿で詳しくお話させて頂きますね。遊歩道として長さはそれほどありませんが、静かな落ち着いた雰囲気の道。賑やかな場所も大好きですが、こういった静かさを楽しむのも好きなんですよね。

[八幡堀遊歩道]東京都江東区富岡2丁目5−6

八幡橋

 

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この八幡橋、国の指定重要文化財なんです。現存する鉄橋としては最古のものとのことです。1878年ということは、今から約150年程も前から作られていたんですね。当時は自動車もなく、馬車の往来を想定した幅なんだろうと想像できます。1923年の関東大震災による復興計画で廃橋となったそうで、1929年にここ八幡堀に移設。
その頃はまだ運河が埋め立てられていなかったそうです。埋め立てられた今でもこのように橋は残されています。深川は歴史を大事にする街。こういった古いものは、大事に後世に残していきたいものです。

[八幡橋]東京都江東区富岡1丁目19−1

 

深川公園

 

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東京都江東区富岡にある江東区立の公園、深川公園。太政官布達によって1873年に都内では飛鳥山公園・上野公園・芝公園・浅草公園と共に日本で最初に造られた公園の一つとして知られています。公園一帯には、元々永代寺という富岡八幡宮の別当で江戸を代表する寺院がありましたがしかし、明治時代になり、神仏分離令により永代寺は廃寺となりました。永代寺が廃寺になってからも、この地で不動尊に参拝したいという思いから深川公園内に1878年に成田山の東京別院(現在の深川不動堂)が置かれたそう。現在の深川公園は、広場やテニスコートなどがある公園として地域の人に親しまれています。

[深川公園]東京都江東区富岡1丁目14

旧新田橋

 

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新田橋はかつて大横川に架かり、江東区木場五丁目から六丁目を結んでいた小さな人道橋です。大正時代、木場五丁目に医院の開業をしていた新田清三郎さんが1932年に不慮の事故で亡くなられた夫人の例を慰める橋供養の意味を込めて近所の方と協力して架けられたものだそう。当初は新船橋と名付けられていたそうですが、町の相談役としても人望の厚かった新田医師は亡くなった後も地域の方々から愛され、いつしか新田橋と呼ばれるようになったとのこと。橋を架けた理由も、呼び名が変わったエピソードも素敵です。

[旧新田橋]東京都江東区富岡1丁目19

三十三間堂跡

 

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江戸三十三間堂は、江戸時代、富岡八幡宮の東側にあった仏堂。その跡が、モニュメントとして残されています。京都東山の三十三間堂での通し矢の流行をうけて、1642年11月、弓師備後が浅草の土地に京都三十三間堂を模した堂を建立したのが始まり。1643年4月に竣工され、徳川家光の命により旗本吉田久馬助重信が射初めを行いました。
モニュメントにも大きく矢が描かれています。その後、1698年の勅額火事により焼失しましたが、1701年富岡八幡宮の東側(現東京都江東区富岡2丁目付近)に再建されました。しかし残念ながら、1872年江戸三十三間堂は廃されました。深川には、三十三間堂で武芸を磨いた名残として江東区立数矢小学校があります。現在にはかつての三十三間堂が残されてはいませんが、「当時あった」ということを感じることができるのは素晴らしいことです。深川は歴史を大事にする街だと改めて思いました。

[三十三間堂跡]東京都江東区富岡2丁目4

いかがでしたでしょうか?今回は江東区の中でも富岡エリアのスポットをご紹介しました。深川にはまだまだたくさん面白いスポットがありますのでまたご紹介していきます^_^

 

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